utee from tokyoの由来は本名のゆうとから来ていて、
ユニクロTシャツのUTが大好きなことから由来している。
座右の銘は「今を生きる」
担当パートはドラムで5歳の時にドラムに出会い、はじめる。
バンド人生の始まりは、中学生時代に組んだのちにDr.pepperになる"GOLDEN EGGS"というバンドがきっかけで
高校に進学しスタジオペンタ主催のSCHOOL'S OUT 2009がDr.pepperの発進ライブであり、自身のバンド人生の始まりである。
高校時代はDr.pepperとして精力的に活動し、2009年だけでも数回のライブを行うが、
メンバーの受験期に入ったのをきっかけに2012年3月に解散。解散するまでにDr.pepperとして17回のライブを行う。
Dr.pepper活動中もパンクバンド"THEE STONE WALL"や同級生と組んでいるコピーバンド"MOMENTS"の活動も続けていた。
Dr.pepper解散後はコピーバンド"三角チョコパイ"やパンクバンド"バリカン"のサポートを務めるなど
精力的に活動していた。2012年夏に自身が勤めていたライブハウスのスタッフとエモスクリーモバンド"Under my Hearts"に正式に加入しライブをこなすが
2013年10月に自身の受験とメンバーとの活動ペースの違いで脱退。
バンド活動以外にも地元吉祥寺を拠点に自主企画を数本打っており、タイトルは"Play What We Play"で意味は「私たち(出演者)のようにあなたたち(来場者)も楽しめ」という意味で、ジャンルの壁を作らず、POPSからHARDCOREなバンドを呼び行っている。
タイトルの由来は本人が好きな映画"SAW"の主要登場人物ジグソウの言葉"See What I See"から来ている。
現在は"NAVYS"というパンク系バンドを組んでおり、マネージャーを勤めているMixture Band "Style"のドラムが活動できないため、サポートとして活動している。
また、保健体育の教員になりたいという夢があり大学進学を目指していたが2浪の末その夢がなくなってしまい、バンドマンとして成功したいという夢を持ちながら
活動を続けている。